四季は常に巡り、イベントは繰り返し訪れる。
それは、どのような業界に生きていても等しく迎えられる日常の起伏である。
そう、例えばクリスマスも。
率直に言おう。
私は、俗に言われる「敗者」の側に立つことが多い人間である。

4年くらい前のクリスマスイブ。
我が社のなかで、勝者はただ一人だけだった。

午後7時。
普段なら定時を過ぎても作業している、というか事務所に住み着いててほとんど外出しない代表が、そわそわと落ち着かなく席を立った。
あのときの私は、その日が何であるかすら失念していた。
年末の追い込みで締切が重なっており、私とSE、「強く押す」バイト君は、ある意味世俗から離れていたと言っていいだろう。

「ごめん、今からまぁ、色々なんで、これでなんか食べて」
代表から三人分の食事代を頂いて初めて、世間がお祭りだった事を思い出した。
クリスマスの思い出。
それは遠い日の花火。
学生の頃の幻影に近しかった。
いつもより明らかに、うきうきと事務所を出る代表。
彼の背中を玄関で見送る我々は
「ここは俺たちに任せて、はやくヘリに向かえっ」
「そうだ、あいつらにとっちゃ、誰か一人でも取り逃がしたら敗北なんだからな!」
「ったく、いつも背中を任せやがって!次はおごれよな!」
と、一昔前のハリウッド戦争映画のワンシーンみたいな感じだったに違いない。
当然残された三人は全滅、みたいな。

それはともかく、代表を送り出してしばし。
協議の結果、我々は事務所近くのトンカツ屋にいくことになった。

トンカツ屋は、ご家族連れで混んでいた。
通された席は、そんな幸せな人々からちょっと隔離されたような場所だった。
「俺たちって絶対邪魔者扱いっすよね、空気になじんでないっすもん」
バイト君の言葉は、我らの立場を、えぐるように的確に表現していた。
店内のほうぼうから、小さな子供を連れた若い夫婦とおじいちゃん・おばあちゃん達の、トンカツにはしゃぐ子どもが可愛くて仕方ない、といったあたたかい言葉が流れてくる。
対して我々は、おかわり自由の麦飯のおひつとキャベツを囲んで、もそもそとトンカツ定食をむさぼっている。

世に問おう。
クリスマスは、誰かと一緒にいて幸せじゃないといけないのか?
と。

仕事に疲れている人々は、いつものように、もそもそラーメン屋か定食屋で飯食って、もそもそ缶ビール飲んで、もそもそ風呂に入って、もそもそ非日常のすみーっこで「いつも通りの暮らし」を、遠慮がちに押し通さなきゃいけないのか、と。
ちょっとの贅沢くらいいいじゃないか!
こんな日くらい、松屋の牛丼とか、スーパーのパック寿司(399円)以外のモノを食べたっていいじゃないか!

全然関係ないが、私は一年に12回ある「14日」のうち、日本人がさわいで良いのは12月14日だけだと主張したい。
日本に生まれたからには赤穂浪士の大美談、忠臣蔵の四十七士を偲ぶことが筋ではないだろうか。
というか8日後の正月を祝おうよ、みんな。
クリスマスはもとより、それこそ2月や3月の軟弱な(出会いに乏しい三十路男のひがみと問題発言が延々と続きそうなので割愛)