彼は、言われたとおりに「強く」押した。

コンビニから帰ってきたスタッフをインターホンで迎えたのは、入ったばかりの新人アルバイト学生だった。
事務所のビルはオートロックになっているため、その部屋の住人がインターホン越しにマンションのロックを解除しなければ中に入ってくることは出来ない。
「すみませーん、どうやったらオートロック解除できるんですか?」
そういえば、彼にはオートロックの開け方を教えていなかったのを思い出した私は、何気なく「インターホンの本体に付いてるボタンを押せばいいよ」と告げ、ありがとうございます、とお礼の言葉が返ってきた。
次の瞬間。
びりりりりりりりりりりりり!
とも
じりりりりりりりりりりりりり!
とも聞こえる、大きな非常ベル音がマンションに響き渡ったのだ。

「ちょっと待ったっ! お前、何押した!?」
「え、だってここに『強く押す』って書いてあったから……」
「はぁ!?」

驚きを隠せぬまま、事務所内に居たスタッフはインターホンの周りに集まる。
彼の言うとおり、確かに本体上には、オレンジ色の透明なプラスチック板に白文字で「強く押す」とプリントされた小さなボタンが付いていた。
ただしそのオレンジ色の板には、小さなかすれた文字で「非常ボタン」と但し書きがあった。
そして、さらにその下5センチもない所には、それこそ名刺くらいの大きさをした、いかにも押しやすそうなボタンが、これでもか、というくらい存在感を誇示している。

「なんでお前、解錠ボタンと非常ボタンを間違えられるんだよ!」
「だって、強く押すって書いてあったら普通そっちを押すでしょ!?」
「押さねぇよ! つーか気付けよ! たかがドア開ける度に、お前はいちいちボタンを強く押してんのかよ!?」
「書いてあったら押しますってフツー!」
「フツーじゃねぇって! つーかどうやってコレ止めるんだよ!」
鳴りやまぬベルの中。
あまりに脱力する彼の反論に対し、もはや皆、脱力の薄ら笑いを浮かべるしかなかった。結局どうやってベルを止めたのか覚えていないが、帰ってきたのに非常ベルを鳴らされたスタッフは「俺、もうこのまま泣いて帰ろうかと思いました」と、不服そうにつぶやいていた。
その後の数ヶ月間、この新人アルバイトくんは様々な「常軌を逸した行動と発言」を披露し、我々を愉しませると同時に頭を悩ませてくれた。

今では専門学校を卒業し、東京の某ソフトウェア会社に勤務している彼だが、我々は内心、その会社でまたとんでもないことをやらかしてやしないだろうかと、懐かしくも思い出す事がある。