そして第三、これが最も致命的なのだが……。
みんな、貧しかった。
仕事がなかった……、いや、まったくなかったわけではない。
決して。
ただ現在と比較して、極端に依頼が少なかっただけである。
設立当初のネットワークインフラは草創期にあり、ブロードバンドサービスが普及しはじめるかどうか、微妙な時期であった。故に、新進の技術に先見の明を持った経営者たちが「会社案内として」制作を依頼するケースが多かったのである。
現在のように、飲食店や街の工務店でさえ「宣伝・サービスの一環として」ホームページを持つような時代ではなかったのだ。
パソコン自体の普及も、とうぜん家庭までには浸透しておらず、ネットワーク自体も、電話線にモデムをつなぎ
「みーぎょろろー、みぎょっ、みぎょぎょー、ぴーーーー、みぎょっ」
という珍妙な機械音を聞きながら、ゆっくりと表示されていくページが現れるのを待つという、今では考えられないほどスローモーで牧歌的な通信手段でしかなかった。
故に、ホームページというもの自体が、紙媒体の広告を急激に脅かすほどの力を持ち合わせてはいなかったのである。

以上、当時の世相を基にした自己弁護終了。

ただ、おしなべて暇だった。
暇で、貧しくて、それでも、楽しかった。
昼食は自炊に頼るしか無く、それもきわめて粗末なものが多かった。
私が当時よく作ったメニューに、通称「水と粉」というものがある。
近所のスーパーで売っていた特売品の小麦粉に塩を振って水で溶き、ごま油を敷いたフライパンで焼く。
具が何も入っていないお好み焼き状の何か、とご理解いただけばいい。
だがフライパンに生地を流し込む際にうまくカタチを作り、上手に焼き色を付けると、何となく「おっきな豚肉を焼いたもの」のように見えて豪勢な気分になったものである。
実態は炭水化物のカタマリにしかすぎないのだが、その事実には目をつぶり続けた。
そしてそれが、何日も続いたこともあった。
時折遊びに来てくれるS氏がお菓子やジュースを差し入れてくれた時など、彼が神に見えたことすらある。
今にして思えば……。
いや、それは語るまい。
だが、我らの精神的な強さが、あの頃培われたことは間違いないであろう。
さながら、お笑い芸人の下積み時代のように。