運のいいヤツと悪いヤツ、というのはどこにでもいる。
我が社の場合それが極端に現れたのは、猫だった。

今では代表の実家で飼われているが、天神に移転するまで我が社には「なぎ」という名の猫がいた。
確か、2002年の事だったと思う。
雑餉隈駅の近くで代表に拾われ、事務所で飼うこととなったのだ。
代表が最もかわいがっていたにもかかわらず、意外にもこの猫の名付け親は、私だったりする。
元々猫は好きだし、猫がいればのんびりするかな(あれ以上のんびりするのもどうかと思う側面もあるが)位の気持ちで「凪」の字を思い浮かべての提案だったのだが、メンバーの意向で「薙」の字がなんとなく採用された。
そしてその意向は見事に名は体を表し「どんなヤツでも薙ぎ倒す」凶暴・凶悪な暴れ猫としてすくすくと成長し、恐怖のでぶ猫としてその地位を確立した。
仕事していればいきなりかみついてくるわ、撫でればひっかくわ……。
あまりの凶暴さに、「なぎ」はしばしば様々な「お仕置き」を受けた。
頭に靴下を被せられ放置される、とか、2リットルペットボトルの製品パッケージビニールを被せられて放置される、とか、肉球にセロテープを貼られて放置される、とか。
(そのたびに、代表に怒られた)
拾われた猫にもかかわらず、「なぎ」は幸せだった。

その一方で、悲運をたどった猫もいた。
名前を、「ねじ」という。
茶色の雉猫で、しっぽの先がまっすぐではなく捻れていたため、この名が付いた。
「ねじ」が事務所の庭に最初に現れた時、それはもう哀れなくらいやせ細り、ノミにたかられて皮膚が痛々しく腫れていた上、いじめられていたのか人間不信で近づいて来ようともしなかった。
代表がえさを与えるようになると、「ねじ」は次第に庭を拠点として暮らし始めるようになった。が、野良猫故に明らかにノミを持っている「ねじ」は、事務所内へと招き入れられることは極めてまれだった。
「なぎ」にノミを移されたくない代表の親心が、当初は勝っていた。
しかし二週間位すると、「なぎも一匹じゃ寂しいだろうから」という意見もあり、「ねじ」は我が社に迎え入れられることが決定した。
「明日庭に来たら、動物病院に連れて行ってノミ取りとか色々しようね」
そこまで、決まっていた。

その日の夜。
代表たちが夕食を取り、事務所に帰ってきた。
事務所は、筑紫通りという交通量の多い道に面していた。
「ねじ」は、その道の脇に横たわり、動かなくなっていた。
代表によると、まだ、暖かかったという。
ほんの数十分ほどの差に違いなかった。
あと、少し。
あと、数十分。
あと、数時間。
「ねじ」は、自らの知らぬところで用意された、飼い猫として、いじめられることも飢えることも、ノミに悩まされることもない、その代償として自由に出歩く事を制限される「幸せ」を手に入れる寸前で、車に轢かれて、逝った。
遺体は、旧事務所近くの川縁に埋められている。

我々からすれば不幸な話である。
だが、「ねじ」からすればどうだったのだろうか。
怯えながらも、外の世界を自由に歩いてきた猫と、事務所の中しか知らない猫。
「なぎ」と、価値観は違うはずに違いない。
その答えは、事務所の中で共に過ごせなかったため、永遠にわからない。