「たすけてぇ~」
SEの弱々しい声が、事務所内に響いた。
いつもと違うその声に、「何事が起こったのか」とスタッフ全員は助けを呼ぶトイレの前へと駆けつけた。
この時点では皆、トイレットペーパーが切れていて出られなくなったんだろう程度の間抜け話と思い、ニヤニヤしていた。
結論から言えば、この事態はニヤニヤでは済まなかった。

開かなくなっていたのだ、ドアが。
調べてみると、どうやら鍵が壊れてしまったらしい。
わずか3センチにも満たない木製ドアの向こう側。
閉じこめられたSEは、明らかにいらだっているのが伺える。
が、あまりにも情けない事態の発生に、スタッフはまず呆然とし次に大爆笑してしまった。そうするしか無かった。
内側からも外側からも、どんなにノブを廻そうが、まったく開く気配を見せない。
ドアの鍵は、普通の家庭によくある鍵の動作部分がドアノブの中心部分でむき出しになっているタイプであり、ハサミなりマイナスドライバーなりで捻ってやれば解錠できる構造になっている事は一目瞭然であった。
ならば道具を、と、スタッフの一人が手近にあったハサミを鍵のスリットに差し込み、右に左に回転させる。
だがSEは、個室の孤独から簡単に解決されるに至らなかった。
スリットは何ら「ひっかかり」を感じることなく、虚しく一周、二周、と回転を繰り返す。繰り返す度に、今まで聞いたこともないような、金属片が転がる不愉快な鈴の音がかすかに聞こえてくる。

「ごめん、なんか本格的にぶっ壊れとるみたい」
「うぅっそぉー、マジっすかぁ……」

大爆笑は、次第に気まずさと「これはマズい」という焦燥に変わっていった。
ある者は「トイレのドアの開け方」をgoogle検索に走り、ある者は救出に使えそうな道具が無いかと工具箱をあさり、またある者は、ドアそのものの破壊という強攻策を提案した。
それぞれが交代でドアの前に張り付き、思いつく限りの方法を順番に施す。
何種類もの救助策とドアの構造推定が繰り返され、外のスタッフは一つの事に気がついた。
このドアは内側から鍵をかけることで、ドアノブをひねると出たり引っ込んだりする部分をロックするタイプである。
そしてこのロックは、件の部分を一度ドアの方に引っ込ませてやればどうやら解除出来そうである、という事だった。
「じゃあ、これで」
代表が取り出したのは、少し大きめの事務用クリップだった。
クリップをL字型に変形させ、ドアと壁の隙間に差し込む。
カチリ、と、金属が触れ合う。

「これで開かんかったら爆笑よねー」
「ドアぶっ壊すしかないよねー」

代表の作業を見ながら、他のスタッフは気楽なことを言っている。

「ダメだったら、マジで蹴破りますんで」

閉じこめられているSEだけは、声にドスが効いていた。
ここに至るまで、既に三十分は経過していただろう。
代表が引っかかりを逃さぬよう慎重にクリップを動かしていく。
ガチャリ。
解錠を示す音が響いた。
あわただしくノブが回転し、けたたましい勢いで、白いドアが放り投げられるようにスタッフ達に突き出される。
「もうマジで勘弁してくれよ……」
口には出さないが、疲れたような、怒ったような表情のSEが転がりだしてきた。

「あん時はマジ切れするより、弱っちい感じで助けを呼んだほうがおもしろいかなー、と思ってました」
後にSEは、あの時のことをこう語った。
心に余裕があるのか度量が広いのか、それとも強がりなのかはわからない。
だが、トイレから出てきたときのうなだれっぷり。
そこからにじみ出ていた「勘弁してくれ」感だけは、彼の正直な気持ちだったに違いない。

ちなみに開かなくなった原因は、留め金部分の金属が疲労し、折れてしまったことが原因だった。翌日出社した我々の最優先事項は、ホームセンターに赴き、新しいドアノブを調達することであったのはいうまでもない。